終戦記念日に考える戦争と平和: 模擬原爆というものを知って

もうすぐ終戦記念日ですし、今日は一転して、第二次世界大戦について昨日はじめて知ったことを書きます。

先日、なぜか母にradikoアプリでのラジオ番組の録音方法を聞かれました。なんでそんなことを聞いたかというと、母の習いごとの先生がラジオに生出演したからそれを録音するため、だそうです。

その番組でのお話の話題は、「模擬原爆」。先生はその生き証人なんだとか。
録音を請け負って音声データを編集しがてら番組の内容を聞いてみたら、それはそれは、中々つらいお話でした。


8/6の広島、8/9の長崎の原爆投下前に、アメリカ軍ははじめて原爆を落とすための「練習」を50回近く行いました。長崎に落としたプルトニウム爆弾と同じ大きさで、中身だけ普通の爆弾であるのが、その時使われた「模擬原爆」。英語でいうと "パンプキン爆弾"です。(広島は little boy、長崎は fat man。なんで原爆って拍子抜けするくらい無害っぽい名前がつけられるんだろうか)[https://ja.wikipedia.org/wiki/パンプキン爆弾]
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模擬爆弾投下は、日本が降伏する8/15の一日前まで行われていたといいます。広島長崎の予行練習、だけではなかったようですね。

ちなみに世界的(というか連合国側的?)には第二次世界大戦の終結は9/2。日本の終戦記念日はちょっと違いますね。
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ラジオに出演されていた龍野繁子さんは御年92歳。小学校時代に満州事変、それから日中戦争、教師になってから第二次世界大戦と、若い時代を戦争だらけで生き抜いてこられた方です。大阪に模擬爆弾が落とされたのは7/26。軍需工場の近くでした。当時中学校の教師であった龍野さんは、学徒動員のためボタン工場に生徒たちと滞在していました。模擬原爆の炸裂により自分と生徒が居た部屋の隣に、料亭の庭石が飛んできたことをはじめとする戦時中の体験は、これまで口に出して語ることもできず、ずっと黙っていたといいます。

けれども、20年前に模擬原爆のことが春日井の市民グループを中心に明らかにされ始め、その生き証人として口を開くことを決意し、今は依頼があればすべて断らずに足を運んで話すそうです。「物言えば唇寒し」の戦時中、疑問を口にだすことも、また疑問を抱くことも許されないような状況を、省みられていました。

この番組のradikoでの公開期間はもう終わってしまったのですが、
ラジオとだいたい同じ内容のYahooの転送記事が2年前に出ているのを見つけました。

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こちらを一読し、終戦記念日にだけでも、原爆と一連の空襲で一旦焼き尽くされた国の子孫として何ができるかを考えるのもいいかもしれません。

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by ideas_blog | 2017-08-14 09:40 | 開発について(経済開発/社会開発) | Trackback | Comments(0)

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