のりおです。
先日、難民に関する授業がありました。
そこでわたしが初めて知ったのが、「インドシナ難民」の事実。
日本はシリア難民をほとんど受け入れていないということで国際社会から批判の目で見られています。しかしそんな日本にも1970年~80年代にベトナムやカンボジアからの難民を多少ながら受け入れていた時期があったのです。
私にとっては、自分がそれを知らなかった、ということが結構ショックでした。
インドシナ難民の発生の経緯は...
1975年、インドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)では相次いで社会主義体制に移行しましたが、新しい体制の下で迫害を受けるおそれのある人々や新体制になじめない人々がボートで海上へ逃れたり(ボート・ピープル)、陸路隣国へ逃れました(ランド・ピープル)。 これらの人々を総称してインドシナ難民といい、その総数は 約144万人に達します。その内約130万人がアジア地域の難民キャンプを経て、また、ボート・ピープルとして、アメリカ・オーストラリア・カナダ・日本などへ定住しました。
出典: (公財)アジア福祉教育財団 難民事業本部
私は、その定義は知らずとも、ボート・ピープルという呼称は聞いたことがありました。
調べたところによると、当時日本は難民条約を批准していなかったものの、上陸者が増えたことから「一時庇護」の形から定住促進に至ったそうです。
日本国籍を取得し、定住したインドシナ難民と呼び寄せられた離散家族の合計受入れ数は
11,319人。
今では生まれも育ちも日本、の2世が大学生になっているそうです。
(この記事が、当事者の声を反映していて読みやすいです。
イデアスに来てから先生たちにも言われ、自分でもひしひしと感じることに、「国際協力をやりたければまず国内の事例をしっかり学ぶべき」。
世界の様々なところにあるチャイナ・タウンの原型になったのも、中華系インドシナ難民のコミュニティだったという話を聞いて、突然自分とのつながりに気づき、目からうろこの気分でした。
山形先生には、難民関係の書籍も紹介していただきました。
難民問題に興味のある方は、上記の本など、ぜひ読んでみてくださいね。
世の中知らないことだらけです。
頑張ります。
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